D : 神社・仏閣

 六ツ美南部地区の最古の神社である日長社の社伝によると、昔、この地域は海中の島で(中島町という地名は、そのことに由来すると考えられる)葦が茂った葦島であった。その後、しだいに開け、日久良志の里と呼ばれるようになり、当地を「日奈加島」と云ったという。日長社は第26代継体天皇(507年~531年)の御代、当地が開拓され、五穀豊穣・人民繁栄の守護人として日向国笠狭御崎の神を勧請して当社を創祀、日長の宮と呼ばれたという。

仏閣としては崇福寺が古く蘆菴許應院ともいう。本山は京都の三条にある誓願寺で、898(昌泰元)年に延喜帝の勅願の道場として建立されたので、昌泰寺とも言われている。始祖の名前ははっきりしないが、比叡山の天台宗系の寺で、応永年間(1394年~1427年)に中島城主の由良光家が天台宗昌泰寺を改宗させて、天祐竜山を開山として創建したと言われている。京都円福寺の末寺として1449(宝徳元)年にその名が記録されている。深草派三河12本山の一つで1602(慶長7)年6月16日付で朱印地30石、末寺30、孫寺32を有する中本山で三河三檀林のひとつ。末寺の大部分は幡豆郡に所在した。1944年から1945年の1年間は常に300人の僧が崇福寺で修業したようである。

日長神社で行われていた七福神の写真をどうぞ!

 鈴木さん提供ビデオから編集しました。